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夜、静かな時間、だけどそこには生命が溢れている。 人間として生きていく、それはとても大変なことで、岸田秀的に言うと、社会とは共同幻想で 成り立っている。世界は人々と共有可能であり、日本には以心伝心なんて言葉もある。 ちなみに個人が抱えている理想なども幻想に過ぎない。 夜、その個人としての幻想が、それは言うなればその人の本質にもっとも近いものが、顔を出す。 ちなみに太陽が出ている時間も僕は幻想であると思う。昼間は現実的な思考で、などというのは間違いで、個人の幻想よりも共同幻想のほうにとらわれるためにそう感じるのも無理はないけれども。 まぁ、これも僕個人としての解釈だし、何が正しいとか間違えてるとかは存在しない。 だから僕の夜に対する思い入れも僕の勝手な幻想、又、解釈と思ってもらいたい。 ではまず夜になると何故生命が溢れるかというと、そこには「死」があるからだとおもう。 「死」こそがすべての生命にとって、その命の中で最も輝く瞬間であるという僕の考え、 そこには人間の、ここで僕には人間の解釈しかできないから、本質が表現される。 死を肯定する人も認めようとしない人も、どちらでも死の直前というのはその人の本質が浮き出る。「死」というものはある種の「生」であり、死があるからこそ命の輝きが増す。 昔から、人間は夜を(暗闇)を死と繋げていた。もちろん、僕たちもその幻想は引き継いでいる訳だが、(なぜかというと自我というものは他の自我のコピーであるという解釈で)、昔に比べたら、最近の夜のイメージも変わってきているため、死の現実味は薄れているようにも思われる、が、 しかし、夜にはどこか魔術めいたもの、化け物、お化け、など死と関連するのが多いのも事実であり、夜と死はやはり人間の思考の中で関係し合っていると思われる。 だから夜になると、静寂とともに、その死に対するエネルギーが溢れてくるために、 本質的なものに近い、個人の幻想も共同幻想を置き去りにして出てくる。 ロマンチックな考えや、何か物思いしてみたり、幻想的な気分になるのも、このためだと思う。 またなぜか弱気になる人もいるが、それも死への恐怖が無意識にあったりするためであろう。 僕が思う、夜が昼よりも素敵な部分のひとつは、まぁ、僕は太陽があまりすきでないのだけど、 夜の海と空との関係を見ればすぐわかると思う。 真っ黒なまま空が海へ、海が空へ、境界線などなくなり、そこに永遠が生まれる。 永遠とは生命からの解放。 そこには個人の死、自我の死の意味が含まれる。 空と海との関係と死と夜の関係はとっても似ているとおもいませんか?? 空の青があるから海の青がある。 人間には死があるから生がある、意思がある。 夜の少し冷えた風に命の吐息を感じながら散歩をする。 それが僕の生きていると実感できる時間でもあります。 まぁ、ただたんに僕は、夜が好き。なんです。
by tonic9space
| 2006-10-30 23:47
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